Craft Garden

1993年生まれのゆとり世代の僕が、アニメや映画、読んだ本の感想や、社会に対する不満などを書いてます。

私の愛する零式艦上戦闘機

「日本の戦力は、すなわち零戦の戦力そのものであった」

ウィリアム・ポール(豪空軍パイロット)

 

零戦の刀折れ矢尽きたとき日本の力も尽きた」

ウィリアム・グリーン(英国航空評論家)

 

零戦と接近したら、結果は明らかだ。たちまち死人になってしまう」

グレゴリー・ボード(豪空軍パイロット)

 

私の愛する零式艦上戦闘機

軍事オタクである私が一番愛してやまない兵器があります。

第二次世界大戦中、我が国日本の戦闘機として日本を守るために戦った三菱零式艦上戦闘機、所謂「零戦」です。

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では零戦はどんな戦闘機でなぜ私は零戦を愛するのか。

その理由を綴っていこうと思います。

 

栄光と悲劇。零戦に始まり零戦に終わった戦争

零戦は三菱で堀越二郎技師を設計主務者として開発されました。

 昭和15年9月13日、進藤三郎大尉率いる13機の零戦重慶上空で中国空軍の精鋭「第四大隊」のイー15、イー16戦闘機33機と交戦。しかしスピード・旋回能力・火力に優れた零戦の敵ではありませんでした。倍以上の敵をわずか10分程度の戦闘で27機撃墜、我が方の損害0という圧倒的勝利で初陣を飾ります。これ以降対米戦に突入するまでの1年3ヶ月の間、零戦の空戦による被撃墜数は0でした。(対空砲火により3機が被撃墜されている)

そして昭和16年12月8日。南雲機動部隊は真珠湾を攻撃。対米戦に突入します。対米戦争は零戦の翼の下で始まりました。迎撃に上がってきた米軍機をほとんど一瞬のうちに蹴散らし、零戦のあまりの高性能にドイツ機と信じ込んだ米兵も多かったと言います。

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空母赤城より真珠湾攻撃に向かう零戦二一型)

この後フィリピン、マレーと続く南方作戦でも、零戦は米英両国の新鋭戦闘機、F4Fワイルドキャットやスピットファイアを相手に無敵の戦いを続け、連合国軍パイロットに「ゼロファイター」と恐れられました。日本軍は真珠湾から17年3月までの間に565機の連合軍機を撃墜、破壊しましたが、その内の471機が零戦による戦果でした。日本軍は零戦の長大な航続距離を元に戦線を拡大し、太平洋の空を支配しました。

しかし零戦もいつまでも栄光が続くわけではありませんでした。昭和17年6月のミッドウェー海戦で、空母4隻を失い、この時制空戦では圧倒的強さを誇っていた零戦でしたが、帰る母艦を失った零戦と熟練の搭乗員の多くを失うことになってしまいます。そしてこのとき、ミッドウェー攻略作戦と並行して行われていたアリューシャン攻略作戦において被弾した一機の零戦が無人島であるアクタン島にほぼ無傷のまま不時着。パイロットは死亡しており、たまたまアクタン島に上陸した米軍によって捕獲されてしまいます。

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(アクタン島において零戦を捕獲した米軍)

米軍にとって開戦以来、零戦の性能は驚異でした。こんな絶好の機会を逃すはずがありません。米国本土へ送られた零戦は徹底的に調査・研究され、零戦に対抗するための戦法などが編み出されていきます。

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(アクタン島で鹵獲した零戦を修復し、国籍マークを塗り替えられた零戦

これ以降、零戦は米軍の戦法と昭和17年末に登場した新型機、P-38ライトニングやF4Uコルセアの登場で次第に厳しい戦いを強いられていきます。

 

ソロモン諸島における戦いで零戦も搭乗員も超長距離攻撃によって消耗戦を強いられ、昭和18年9月には米軍の新鋭機F6Fヘルキャットがソロモンで初陣を飾り、零戦を圧倒しました。こうして零戦の優位は完全に失われ、落日を迎えるのです。

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零戦を圧倒したグラマンF6Fヘルキャット

マリアナ沖で大敗した日本は特攻という戦術を採用するようになります。その特攻に初めて使用された機体は零戦でした。昭和19年10月25日、零戦を使用して行われた初めての特攻は護衛空母セントローを撃沈し、複数に損傷を与えましたが、米軍は特攻へ対抗するための戦法をすぐに考え、特攻による戦果もすぐに低下しました。

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(昭和19年10月25日。米護衛空母ホワイトプレインズに突入する零戦

フィリピンに続く沖縄の戦いでも特攻が主戦法となり、沖縄での特攻機1827機のうち825機が零戦でした。

こうしてかつて栄光に始まった名機「零戦」は十死霊生に殉じました。

しかし、敗戦から二日後の昭和20年8月17日。東京湾上空に米軍の新鋭機B-32が現れ、これの迎撃に上がったのが坂井三郎らが搭乗する零戦14機と紫電改3機でありました。このとき日本側に損害は0。米軍側にダメージを負わせました。これが第二次世界大戦最後の空戦として記録されています。こうして戦争は零戦に始まり、零戦に終わったのです。

 

なぜ零戦を愛するのか

私が零戦を最も愛する理由は、明の時代と暗の時代があるということにあります。栄光と悲劇。この二面性を持っているからこそ零戦は美しいと感じるのです。

そしてもう一つが日本を代表する飛行機というよりも、日本というものを飛行機にしてみたらこうなった、という感じの機体形状にあります。優美な曲線で構成された形状はなんの変哲もないように見えます。しかし零戦は現在も多くの日本人によって愛され続けています。おそらく日本人に馴染む形状をしているのでしょう。その変哲もないように見える機体に20ミリ機関砲を積み、敵機を駆逐する様はまるで日本刀を持って切り込む武士のよう。栄光と悲劇の二面性を持つ零戦は、美しく咲き乱れ、ほんの一時で儚く散っていく桜のよう。

そして現在、零戦は南方で自然に還る残骸となっていたり、資料館にて復元されていたり、プラモデルとなって販売されていたり、様々な姿でその翼を休めています。もう傷つき傷つけることはない。

私はこれからもそんな零式艦上戦闘機、「零戦」を愛するのです。